Dec 12, 2008

自由というイベント"Freedom"

昨日横浜の関内でFreedomというイベントを仲間を開催した。
イベント名は「Freedom」、自由をテーマにしているイベントだ。

出演したメンバーの さいとうりょうじ や Chatter Box は曲も含めてテーマをとりあげて色々
思いを語っていた。

俺はあまり色々言うのは控えてしまった。いやー色々思う事が本当に多いから、変にトークショー見たいに
なりそうでね。。。 そういうイベントも前に開催した事があるけどね!

自由っていうのはどのような基本的な価値観と同じ様に客観的に或は数値的には表せない主観的な存在だと思う。
昔から映画や音楽や小説で取り上げられる自由のテーマでは、『コントロールされた空間で手に入れる幸せやその空間
に限られた範囲で「自由」に居られる 』vs. 『アナーキー/無法状態 』 。或は「制限と幸せ」vs.「危険と自由」見たい
なテーマも色々な映画でサブテーマで出てくる。

自分にとって「自由」は幸せを追求できるチャンスが与えられる事だと思っている。
「なんでもしていい」という物には感じた事がない。まぁ、俺の定義だとどこでも自由になってしまうが、
レベルは様々になると思う。さっきも少し話をした「安全」と「危険」だと思う。リスクを背負って自分の
幸せを追求できるかどうかが大きいポイントかな。。。
危険なのは人と利害関係が衝突してしまう時だよね。

自由は一人だけで考えれば比較的沢山あるが、グループの自由を考えると凄い制限があるのは感覚的に分かるよね。。?
人と一緒に生活したり街や国というレベルになると衝突する利害関係をどのように解決して行けばいいか分からないから
本当に長い間法律を変えたり、場合に寄っては戦争も起きて人々は自分たちの自由を確保しようとする。

人間同士の争いであれば、自由関わる内容で戦ったり話し合う事も可能だけど、自然界の場合だと人間が簡単に理解
できる情報発信(反論)ができないから利害関係が衝突すると人間は自分の貪欲な欲望を突き通す。

今日はたまたまイベント明けて、たまたま象牙の印鑑の宣伝をネットでみてびっくりしてふと考えてしまったんだ。
象牙って使うのwashington条約で駄目になったんじゃなかったっけ。。。?てね。まぁ、俺は色々な事にうといから
何か分かっていないのかと思ったら、どうも環境省から?認定をもらって販売している会社らしい。
国がOKだから言い訳内じゃん。。。。!
と思ってね。人間の自由について考えてしまった。

象牙の商品を買った瞬間、自分は象の殺しに貢献したと思うべき。
はい、自分もギターのナットはチェックしてプラスチック合成やカーボンの物以外は使っていないです。

実は、この象牙はミュージシャンはショックかもしれないが、象牙の物が多い。
わずかな量になるだろうけど、年老いて亡くなった象からとるだけならなんとかなるだろうけど。。。
どんどんエスカレートして、結局「もっともっと!」になり、、、どんどん殺しが増えてくる。

バランスがどこかに絶対どんな物にもあって、幸せという観点から自分の自由を見つめると欲しいものと必要な物の見極めが見えて来て色々心や生活も自由になるかも。俺は毎日このポイントを見つめて生活の軌道修正をしているが、
自分の欲しいもの、自分の自由って本当に分からなくなるもんだ。

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