Mar 13, 2011

3月13日になってから

Lo-Fiのブログを更新しようと今日外で犬の散歩をした時に思った。
実は久しぶりに外に出たのである。

3/11に地震が起きた時には街中にいてビルや木がすげー揺れるのを見て、その時いたビルが崩壊して圧死するだと思ったが、、、何ともなかった。
残念ながら北日本はそんな訳には行かなかった。

地震の余震がまだ沢山続くなか、原発の状況も国や電力会社から不明確で色々な噂が飛び交っていて、ある友達は東京から離れる事を決意して新幹線で遠くに行った人もいる。俺も怖いから逃げたい気持ちもあったり、家族を守るためにどこか逃げる場所の事も考えた。

政府側の記者会見に対して質問として、どうやって今回の災害から復興するための予算が来るのかとちょっと場違いな質問もあったが、その質問の重要さをバカな俺は今やっと感じてきた。

俺は東京が多少危険でも離れては行けないんだなぁ、と気づけた。
毎日の普段の生活で経済を動かし続けて税金も払い続けて、節電もして、食料やエネルギーを節約して、ある意味普段の通り(理想的には)生活するべきなんだと。

ミュージシャンとしてなんか曲をつくったり、チャリティーコンサートをしたりというのはタイミングが合えば自然にできるタイミングが来るとして、危険と戦っている人たちの為にも今まで国を動かしていたシステムを回し続ける義務が国民としてあると思った。

ローカルの身の回りの店で買い物やご飯を食べて、自分のサービスやビジネスもできる限り危険の無い範囲で(ここでスゲー個人差がでるが)提供してビジネスの流れを止めなければ国の資金や人と情報の流れやインフラもキープできて、国の復興や戦ってくれている人達の家族や精神的なインフラを守れるはず。

逃げたい気持ちも解るが、安全な範囲をそれぞれが見極めて節電しながらも今までのシステムの中での自分の役割を維持して生活するのが大切だと急に外を散歩しながら思いました。
皆が逃げて人がいなくなったら、経済や他の様々なシステムが止まって、前線で戦っている人達の支援もできなくなる事が考えられる。そういうのももしかしたら怖くて国側から情報公開が制限されているのかもしれないね。

300KMぐらいしか原発から離れていないし、まだ余震が続く中うちの近くのビルの入り口も立ち入り禁止になってしまっているか、完全に元通りにいかないとしても、復興に向けてビジネスを動かす義務も一人一人にあると思った。

節電の生活パターンはいい教訓になっていると俺地震はスゲー馬鹿で電力消費魔だから思った。LogicにD/Aコンバータ、真空管コンプ、ベース/ギター/マイク・アンプ、8-coreコアのMac Pro、モニター用のパワーアンプ、プリアンプ、ipadで譜面を書き、モニターは3つ使い、iPhoneでDTMを制御して、別macbookで参考音源ファイルをネット検索したり、、、、もう切りがないぐらい今まで電気使って音楽を作ってきた。

高校生の頃の気持ちに戻って、ギター 1本でしばらくは作曲。
歌詞はペンとノート。
チューナーは幸い昔からオンサ!
今は音楽を通じて何かしてくれというのは直接無いが、周りのコミュニティーで必要とされるときに動けるようにマンションの管理組合や近所とも情報を交換したり、ウェブ上で情報を翻訳するのでも何かできる事を少しずつやりながら普通の生活を取り戻す努力をしてます。

ライブも決まっているのはなんとか状況見てやるつもりで、
(人の移動が余震の中で心配だけど)レッスンやサポートもなるべく通常通りに続けたいな。

防災セットはミニなのを携帯して移動して、家には大きめなバッグを一応ちゃんと用意している。ヘルメットはスノボの時のヘルメットだけど。一応ゴーグルも準備して、移動は地震が急にあっても長距離歩ける物で、家族と落ち合う場所は話てある。


ちなみに最近読んだ原発の分析で非常に参考になった記事:

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